yoshinoraicho’s diary

30代の日々(吉野雷鳥日記)

初詣でコロナ収束を祈願する非科学的行動

元日、私は午後に近所にある小さな神社で初詣をした。

毎年通っている神社だ。

例年まばらで、いても1人2人くらいしかすれ違わないが、今年参拝してみると、5、6人のおっさんたちが境内にたむろってて驚いた。

そのちいさな神社もいつもは閉じているのに、開いていて、装束を来た神主さんらしきおっさんが中で飾り付けなのか整理してるのかゴソゴソしていた。

どうやらたむろってたおっさんたちは氏子さんたちで、新年の挨拶で集まっていたところにたまたま遭遇したらしい。

 

お賽銭箱に小銭を投げ入れ、今年も一年家族が健康でいることを祈願した。

 

パソコンでネットニュースを見ていると、今年の有名な神社の参拝の様子が流れていた。

前年と比べて参拝客は少なく、まばらだった。

そこでインタビューも放送されていた。

インタビュアーがおばあさんに何を祈願しましたか?と問われて

「コロナの収束を祈願しました。」とニッコリ答えていた。

 

1月4日の伊集院光のラジオ『深夜の馬鹿力』を聴いていたら、今年の初詣のことについてしゃべっていた。

テレビで初詣の映像を観ていると、コロナの収束を願ったとインタビューに答えている人が意外と多く見られたこと。でもそれって変じゃない?と疑問を呈していた。

コロナの収束を願うのであれば、人が集まる神社に出向くようなことはせず、外に出ないのが一番の有効的な手段ではないのか。

祈願という非科学的な方が優先されている不思議さをつぶやいていた。

 

それを聴いてたしかにそうだなと思った。

おもいっきりやってることが矛盾しているなと。

 

コロナ収束祈願をするために初詣に出向く人はその矛盾さに気がついていない。

むしろ祈願した自分に満足していると思う。

こういうことは世の中に他にもあると思う。

 

自分は良かれと思って行動していて、でもそれは結果として悪い方向へ導いてしまうことになっている。

自分も知らずのうちにやっていることがあるかもしれない。

 

ちょっと違うけども、なんだかなぁと思うことは医療従事者に感謝を示すブルーライトアップってやつ。

照明で会社や公共施設などの建物を青く照らしてエールを送るというもの。

あれを見て最前線で大変な苦労をしている医療関係者は癒やされるのか?

あぁ、感謝されてるなぁ、嬉しいなぁって思うのか?

 

照らしている人の自己満足じゃないのかな~。

医療を応援している自分、ナイス!!って自分をほめてる気持ちが混じってるように感じてしまう。

特に企業のライトアップは企業イメージの向上・アピールというよこしまな気持ちが全くないわけではないだろう。

 

ひねくれているからか、素直に賛同できない。