yoshinoraicho’s diary

30代の日々(吉野雷鳥日記)

アスリートの「元気を与えたい」というセリフへの疑問

昨日はとても風が強く、時折雪も降ってきた日だった。

 

オリンピック開催について賛否両論が湧き上がっていてとてもいいと思う。

オリンピックを無条件に受け入れるのではなく、一度疑問を感じるべきだと思う。

 

私はそもそもオリンピックに興味がないので開催しなくても全然問題ない。

現代のオリンピックはただの経済効果を期待したものであって、多額の公共投資をして大規模な開発を行い資源・エネルギーを浪費した上で行われる。

それが今の世の中に適切な施策とは思えない。

環境にやさしくやらエコやらSDGsやらが盛んに言われているのに。

 

選手も選手でトップアスリートという自負があり、皆が手放しで応援していると思っている節がある。

正直どうでもいいよ、あんたらのことなんか知らんわと思っている人もいることを知って欲しい。あんたら内輪だけで盛り上がっているだけだよ。

 

よく耳にするのがアスリート(このアスリートという言い方も一般競技者と区別するために使っているようであまり好きでない。)が

「元気(もしくは勇気)を与えたい」

という寒いセリフを平気でインタビューで言うことだ。

 

このセリフを頻繁に聞く。

なんなんだ、その上からな目線は。

自分が特別な存在という自負から発せられるセリフ。

 

いらんわ!

あんたらの競技してる姿を見て

「あぁ~元気もらえた~~~~ッッッ!!!!」

ってなるか!!

 

なんでああいうセリフを恥ずかしげもなく言えるのか感覚が分からない。

日本語の感覚がどうかしてるとさえ思う。

 

あと観客の中にも寒い人たちがいて、横断幕などで

「感動をありがとう」

と書いて嬉々として掲げている姿を見る。

 

とても気持ち悪い。

これも日本語の感覚がどうかしてる。

 

こういう人たちがお互いに生温かい感情のキャッチボールをし、ほっこりした気持ちになっている。

 

利権がからむからか開催にやっきな政治も、寒いセリフを言うアスリートも、もう色々嫌なものが目につく。

オリンピックビジネスは時代遅れ。

皆が開催候補地に手を挙げるからこのビジネスはゾンビみたいに生き続ける。

IOCも生き続ける。