yoshinoraicho’s diary

30代の日々(吉野雷鳥日記)

時間も平等ではないと思う。

よくお金や才能などは人によって差があるけど、唯一、時間だけは皆平等と言われることがあるが、それも実質的には平等ではないなと感じることがある。

 

例として小中高校生の受験勉強。

平等に時間を与えられているとはいえ、家庭環境によって同じ時間でも学べる濃さが変わってくる。

 

親が高額所得のAは塾に通うことができたり、有料のネット講義を受けることができて、受験に必要な勉強のコツを効率的に学ぶことができる。

一方、親が低額所得のBは塾に通うことができず、有料のネット講義を受けることもできない。

学力は同程度とする。

 

ここである1つの難しい問題を解いてみようとなった時、解くのにかかる時間は両者で異なる。

 

Aは塾やネットの講師に解き方について尋ねる権利を持っている。講師は受験のプロなのでとても分かりやすく効率的な解き方を教えてくれる。

一方Bが身近で尋ねることができるプロといえば学校の教師しかいない。

熱心な教師ならいいが、やる気がなかったりどうしても相性が合わずに話したくない教師であれば自分でなんとか解き方を考えたり、ネットで調べたりしなければならない。

ネットで調べるとなれば情報は有象無象なので、正しいと思える情報を得るまでの時間がかかる。

 

両者でプロにアクセスできる機会が違う。

すると問題を解くまでの時間に差ができる。

 

Aは解き方を10分で知ることができた。

一方Bは色々自分で調べた場合30分かかった。

 

親の所得の差によって、BはAよりも時間を3倍かけないといけない。

 

所得の差によって、同じ作業をするにも完了するまでの時間に差が生じる。

実質的に時間も不平等なのではないか。

 

平等なものって無いだろう。